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市川浦安支部40周年記念パネルディスカッション
はじめはどこも小さかった

苦労と挫折、成長、そして同友会での学びを語る

<パネリスト>
(株)エム・ワン 代表取締役会長 宇田川正和氏
  事業内容:商業施設展開のトータルサポート化に向けた各事業。店舗維持管理、メンテナンス、クリンネス等。
  設立:1979年 資本金:3億円 従業員数:200名

(株)昭栄美術 代表取締役 小林利昭氏
  事業内容:展示会・イベントに関するディスプレイの企画、設計、製作、及び施工
   設立:1979年 資本金:9,000万円 従業員数:290名

(株)ピーターパン 代表取締役会長 横手和彦氏
  事業内容:自家製焼きたてパン製造直販
  設立:1977年 資本金:1,400万円 従業員数:正社員124名、パート・アルバイト260名

<コーディネーター>
(株)タカサ 代表取締役 鎗田貞子氏
  事業内容:調剤薬局経営及び福祉・介護用品販売・レンタル等
  設立:1980年 資本金:7,000万円 従業員数506名


鎗田:まずはお一人ずつ起業のきっかけを教えてください。

宇田川:もともと電力幹線工事の監督を楽しくやっていました。当時、下請け業者に自分の給与とボーナスを貸していて、その集金に行った際に、下請け業者の社長から「宇田川さんは社員やるより社長やりなよ。その方が向いている」と言われたのです。「経営者になったら少しは自分の時間ができるのかな、今の給与と同じぐらい稼げればいいかな」と考え、鉄工所を始めました。

小林:私は21歳の時、きっかけがあって人材派遣業者で働いていました。 一般的な月給が7〜8万円という時代に、毎月200〜300万の給与をもらっていました。若くて独身の時にそんなお金を手にしたので、とにかく色々な遊びをやりました。一通り遊ぶうちに、「このままでは駄目だ、まともにやろう」という気持ちになり、起業することにしました。遊びにお金を使ってしまい、小さいトラックを買うのがやっと、というところからのスタートでした。

横手:私は金融機関から脱サラしました。独立する夢を描いて東京に出てきましたが、24歳でやっていけるほど世の中は甘くなく、水商売から始まりました。27歳の時にスナックをオープンしたところ、店は繁盛してわずか2年で結婚して家を買うことができました。ところが、3歳の娘を店に連れてきた時、煙草をふかしてお客さんと酒を飲んでいる私をみて、「お父さんの仕事は何もしないんだね」と言われたのです。とてもショックでした。このままでいいのか。大した人生でないのなら、自分の働いている姿を見せて子供を育てたいと思いました。
パン屋を選んだのは友人が作ったパンがとても美味しくて、これを仕事にして子育てが出来たら最高だと思ったからです。

鎗田:それぞれ動機は違いますが、起業をすることは大変なことだと思います。資本金はどのようにして作ったのでしょうか。

宇田川:資本金は1000万です。私の仲人を含めて友人5人くらいからお金を借りて集めました。

小林:私は遊びにお金を使ってしまいましたが、人材派遣業で集めた仲間たちに、丸太やトタン板、機械も寄付してもらい、いろんな人の協力でスタートしました。

横手:300万円の資本金は自分で用意しましたが、パン屋は設備産業なので設備投資が必要です。その資金の4割は自己資金で、2割を親戚に借り、残りの4割を金融機関から借りました。

鎗田:銀行からすぐに貸してもらえたのでしょうか?

横手:「千葉県在住の不動産所有者」という第3者保証人と言う条件で、それを満たす人を探すのが大変でした。私の中学校の同級生の友達、という赤の他人に近い人が、ふとした会話の中から「僕でよければなってあげるよ」と言ってくれたのです。驚きました。一生懸命やっていれば誰かが助けてくれるものだなと感じました。

鎗田:皆さま苦労して起業された後、最初の社員はどのような人でしたか。やはり中小企業が一番悩むのは人集めだと思いますが。

宇田川:私の場合は、仲人から「きちんと自分の工場を持った方がいいよ」とアドバイスを受けて、その人がお金を貸してくれたのです。もちろん金融機関からもお金を借りました。そうして工場を作ったら人が自然にぽつぽつと人が増えていきましたね。気が小さくて真面目な人間には人が寄ってくるんです(笑)

小林:高校生を一人集めるのに100万くらいかかるという時代で、うちの会社はポスターの写真にもある通り丸太小屋。私はあえて、作業服に草履で学校訪問をしました。そして「うちは3K、5Kどころじゃない、20K30Kです。給与も安く残業も多いです」と言いました。ただし「今は20Kだけれど、30年後には絶対に成長するぞ」と夢を語りはったりをかけました。それで12名を確保しました。その時の社員は今も2名在籍しています。

鎗田:聞くところによると、駅前で募集のビラを配るという手もやられたとか?

小林:はい。あらゆる手を使いました。ただ、一番大事なのは社長がロマンとビジョンを語ることだと思っています。

横手:弊社の場合、最初の社員は一人です。パン作りの見習いの会社にいたアルバイトの男の子が、学校を卒業するというので、「俺の店に来いよ」と声をかけました。

鎗田:私たちはなるだけ新卒を取れと教えられてきましたが、初めから新卒の方を採用できたことは素晴らしいですね。さて、経営をしていく中で大変だったことはなんですか?どのように克服してきたかも教えてください。

宇田川:一番大変だったのは、長時間・重過酷労働を社員にやってもらうことです。夢を語るか酒を飲ますか、という2つしかありませんでした。夢を語ると言っても「将来こうなるよ」というのを描き、きちんと成果を出さなければなりません。
 それから、貸借対照表と収支報告書の見方がわからないことも辛かったです。初めは正垣さん(潟Tイゼリヤ・代表取締役会長)から学んでもちっとも理解できませんでした。これがわからないので工場新設のために借りたお金の返済には苦労しましたね。
 それから、5億近い不渡り手形を食らいました。3日以内には現金を銀行に持っていかなければならないという恐ろしい状況の中でたくさんの人に電話して資金を集めなければならず、本当に苦労しました。

鎗田:不渡りを食らったというのは数字が読めなかったことが原因なのでしょうか?相手の会社を信用しすぎたということでしょうか?

宇田川:企業の出している信用調査だけでは内情が見えづらいというのはつくづく感じました。やはり相手の会社と関わり、深く知るということが必要だと学びました。

小林:社員数が20名くらいの頃に営業部長と制作部長が結託して7〜8名の社員を連れて独立しました。その時に「3年くらいで昭栄美術を追い越してやる」と言われました。これが一番辛かったですね。資本が少なくても独立しやすい業種というのは確かですが。

鎗田:実際、追い越されてしまったのでしょうか?

小林:いや、逆に3年で倒産してしまいました。ただ7〜8名で独立されたことをきっかけに、残った仲間で頑張れたというのも事実です。会社を経営してればこういうことは起こるものだと思います。

横手:儲からなくても良い「お客様に喜んでもらえて、社員さんが楽しく働ける店」を作ったら大繁盛して、2店目を出店しました。2店目もうまくいってよしこれからだ!と思ったときに、最初に入った新卒の彼から「僕は宗教に身を捧げたい。経営幹部としてあてにしないでくれ」と言われたのです。寝耳に水でしたが、彼と心中するわけにはいかないので、経常利益が2000万の時に1000万かけて新卒採用をすることに決めました。いい会社をつくりたければ新卒を入れろと正垣さんに常々言われていたからです。

鎗田:そんな中で今こうして成長しているのは、幹部の人がいなくてもできる体力があったということでしょうか?

横手:体力があったというより、「いい会社をつくりたい」という一心でしょうね。新卒がめでたく入ってきたものの、それからが大変でしたよ。今までの社員と新しい社員との軋轢が生じました。新卒というのは荒野にまいたコシヒカリの種と同じで放っておいたら枯れてしまう。畑を耕し水をやるように教育しなければなりません。社内塾を作って、社員と話したり、一緒にご飯を食べたりするところから始めました。

鎗田:それぞれ大変な経験をされていて、それを乗り越えるためには知識も必要だったと思います。同友会での学びと経営の関わりについてお話しください。

宇田川:(同友会で深く学ぶことになった)発端は、隣にいる昭栄美術の小林。小林さんの発言がきっかけで、小山さん(トーヨーウレタン梶@小山袈裟儀氏)と正垣さんと論争になったのです。小林さんは「会社で儲けたらヨットを買って40歳で社長を辞めて、世界中をヨットで旅したい」と言っていました。私は「あ、こいつは俺と同じ考えだな」と思っていました。ところが小山さんと正垣さんは「お前たちの考えはおかしいんじゃないか」と言うのです。
  ここから大論争になるのですが、いつも皆の仕事が終わった夜中の1時ごろから議論が始まり、正垣さんが「市場に食材を仕入れに行くから」と言って、4時ごろにやっと終わる。正垣さんはほとんど寝ずに話をしてくれているのですね。そのうちに私と小林はハタと気がつくわけです。正垣さんが「人のために、健康にいいものをできるだけ安く、できるだけ多くの人に提供したい」と言っている一方で、僕らは社員をこき使って買いたいものがヨットですからね(笑)

小林:今の話は37歳の時の話です。私は40歳まで背広は着ないで現場で汗水流そうと考えていました。そのぶん40歳になったら自由気ままに生きようと。それが夢だったんです。私の人生は正垣さんに出会って180度変わりましたね。会ってなかったら今はないです。今頃はヨットに乗っているのかな?いや、リヤカーを引っ張っていたかもしれません(笑)

横手:私は宅配ピザのチェーンに加盟しており、その方の紹介で同友会に入りました。まだ入会する前、初めて正垣さんに会った時に「おまえはパン屋か、これからどうなりたい」と聞かれたので「地域一番店になりたいです」と答えたところ、「地域一番店なんて言っていちゃだめだ」と言われました。ああこんなスケールの大きい会には入れないと思いましたが、事務局から誘いの電話がかかってくるんですね。3か月連続で例会に行きました。そして、やっぱりこれは勉強しなきゃいけないなと思い入会することにしました。

鎗田:学びの中身では、どのような恩恵を受けましたか?

宇田川:経営者としての武器をしっかりと教わったことですね。まずBS、PLです。そして「本当にいいものをより多くの人により安く」という考え方をこれまでは持っていませんでした。社長として目指すところを自覚しました。

小林:自分の生き方が変わった。かっこよく聞こえるかもしれないけれど、自分一人じゃない、社員がいる。そして小さい家庭という組織があり、それを守っていかなければならないという気持ちになりました。

鎗田:小林社長は常々「うちは頭が悪い」とおっしゃいますが、実際は理論通りに社内実践をされていて、だからこその成長だと思います。学ぶ上でなにか気をつけていたことはありましたか?

小林:当時は例会を含めて月に3〜4回の勉強会がありました。そのたびにたくさんのことを教わりました。知識は増えても、実行に移すことは難しいものです。私は「学んだことを一つだけは実行しよう!」という気持ちでいました。例えば、大工さんに作業日報を書くように言っても、職人ですから2日は続いても3日目はできない。その繰り返しですが、やると決めたのであきらめずにやっていきました。定着するまで15年はかかりました。

横手:私が一番学んだことは、お客様に対する考え方と社員に対する考え方です。お客さんのために会社がある、それを守るために社員を大切にしろ、社員教育をしろ、社員教育もしないで「うちの社員はできない」と文句を言うな、ということを骨の髄まで言われた気がします。

鎗田:同友会で学び、現在成長をされているわけですが、発展のきっかけがあれば教えてください。

宇田川:市川浦安支部では「企業の社会貢献性」ということがよく言われます。「よい会社・よい経営者・よい経営環境」という同友会の3つの目的を集約すると社会貢献性になると思います。「お客さんの支持によって経営規模は拡大していく」ということに気づきを持てるかどうか。投資して社員を採用して教育して、商品開発をして、その結果会社が大きくなり、社会に貢献できる、という循環に自社が入っていくという覚悟です。
 「初めはどこも小さかった」という通り、小さいときから社員と共にロマンを語るのだけれど、どうやって語るのかが大事。ロマンとビジョンと経営計画。最後はきちんと数字で語らなければ会社は大きくならないと思います。

鎗田:具体的には、工場を拡張するようにアドバイスを受けたこともあったと聞きましたが。

宇田川:はい。正垣さんに「会社がすぐ10倍になるから10倍の土地と工場を作れ。能率の挙がる工場をつくれ」と言われました。これを何とか成し遂げました。それから、自社が8億の規模の時に7億の会社と合併をしました。同友会で出会った方の会社です。合併をすると相手の会社や社員に損をさせないように、ということで経営をより長期で見なければなりません。客観的にみんなが幸福になるようにということを考えて、この合併で規模は23億になりました。生産性があがったことも要因としてあります。

小林:自社の発展のきっかけになった考えに、「売上=面積」があります。「面積を広げればそれに見合った仕事がくる」というシンプルな考えです。弊社は最初の300坪から15000坪ぐらいになりました。小さい業者の場合、一度イベントで使用したディスプレイは場所をとるので壊してしまうのが普通です。それを弊社では再利用するために保管することができます。再利用するものはその分ディスカウントして使うことでお客さんにとってもメリットがあります。
 それから、私はサイゼリヤのミラノ風ドリアにヒントを得ました。ミラノ風ドリアを各店舗で作ったら店舗数分だけ調理師が必要になるわけですが、実際はカミッサリー(食品加工流通拠点)で作って全国に発送しているので品質も安定しています。私たちも同じで、イベント会場などの現場で作業すると、自社工場で作業するよりも効率がどうしても落ちるのです。自社の面積を広くとり、できるだけ自社で作って現場では組み立てるだけにすることで効率が上がりました。

横手:私の場合は挫折から発展の芽をつかみました。私は社会貢献性を考えずに、ただブームに乗って宅配ピザの店舗を広げてしまいました。ブームが終わってしまい、ぱったりとお客さんが来なくなりました。時流ですね。売上が落ちて、社員を叱咤激励するために店舗に出向くのですが、社員も「また来たか」という顔。こんなにつまらないことはありません。その時は本当に「俺はなんのために経営をしているのか」と考えました。
 その時に思い出したのが、未熟な私の技術でつくるパンを「美味しい」と毎日買いに来てくれる人の顔でした。「あぁ、その顔を見ていた時は社員と私もみんな幸せだったな」と原点に返る気持ちでした。
 また、1991年に四日市にサイゼリヤがオープンする時に、お祝いに仲間で飲んでいた時のことも忘れられません。正垣さんが「うちの社員はオープンのために昨日から一睡もしていない。それなのに何故ニコニコしているのかわかるか」と聞きました。四日市にサイゼリヤができて、お客さんが喜んでくれるのが嬉しいからだと言うのです。
 その時、パン屋の方の売上は全体の3分の1しかありませんでしたが、ピザ部門の店舗を社員に譲り、パンだけで経営していくことを決めました。それが今の自社の始まりでした。

鎗田:それぞれの発展の陰に、学んできたことの実践があり、そして何より人の力は大きいのだなと改めて感じますね。 最後に10年後を語ってもらおうと思いましたが、このメンバーが10年後に現役でいる世代なのか?と言われてしまったので、次の人に会社をバトンタッチしていくことについて、それぞれ思いを語っていただければと思います。

宇田川:自社では2代目である現社長に株を1億5千万持たせて、承継しました。そういうことができたのも、現社長が、「生涯をかけて社員と共に成長発展していく」という自覚を持てたと感じたからです。ここを守っていきたいね。

小林:今社内にはうちの倅もいます。ですが、考えはひとつ。一番優秀で、一番末端の社員の気持ちがわかる人間を社長にしたい。身内であろうが他人であろうが社長になるべき人間はそういう人だと思っています。

横手:社長に望むのは、経営理念の実現ですね。そして社員の幸せを実現してくれれば何も言うことはないと思います。

鎗田:ありがとうございました。私自身が同友会に入会した頃、例会には常時100人くらい集まり、皆が同じ課題に向かって勉強していました。サイゼリヤでの懇親会でも正垣さんの言葉をひと言ももらすまいと、皆必死でメモを取っていて、傍から見たら異常な集団だったと思います(笑)ただ、そんな時期を経て今があります。まさに市川浦安支部で学び成長してきた3名のお話でした。

(事務局次長 /小山)


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